「ラブレター」ではないけれど

前2つの記事は自分の考えを「言語化し整理するため」という側面が強かったのですが、今回はがらりと変えて、「整理」というよりも「覚書」に近い文章を書いてみます。

慎重に丁寧に言語化していたこれまでとは違い、いや、決して軽率で雑な言語化の仕方ではない(ように心がけたいとは思っている)けれど、なんというか、ぽろっと、ずるっと、気づいたら出てしまったような言葉たちでできた文章になりました。

いつも以上に自分のためで、それでいていつも以上に逃げたくなるような文章ですが、いつも通り、公開します。

「好き」
突然ですが、わたしのなにかを「好き」でいるエネルギーはものすっごい強いと思います。わたしにとっての「好き」って、色で例えるならビビッドピンク、形で例えるならハート、音で例えるならギューーーン!って感じです。

わたしにはそりゃもうたくさん、「好き」な もの/ひと/こと があります。そして「好き」なものたちだけで人生をいっぱいにしたいです。ていうか正直「好き」なことしかやりたくない!だって、心を「好き」で埋め尽くせば幸せな気分になれるし、そうすれば嫌なことも全部忘れられるし。

たくさんある「好き」なものたちだけを詰め込みんだような毎日だけを死ぬまで送りたい!ということを本気で望んでいるし、ていうかみんなそうでしょ?と思うのはわたしの視野が狭いからかもしれないですが……とにかく、わたしにとって「好き」という感情は非常に特別で、固執しているものです。

「大切」
「好き」なものたちは自分にとって「大切」なものたちで、
「好き」な気持ち自体も自分にとって「大切」なもので。

だから、「好き」=「大切」だよな!なんて、なんの疑いもなく思っていたのです。

さて、辞書によると「大切」とはもっとも必要である、重要である、という意味だそうです。

もっとも重要なもののひとつ、なんてずるい日本語がありますが、もっともというのは何よりも一番という意味ですから、

もしかしたら、「好き」=「大切」ではないのかも!と思ったわけです。

完全にノットイコールではないけれど、間違いなく完全なイコールではなくって(ここでわたしが高校時代を外国語コースというところで過ごしたために数学をほとんど勉強しなかったツケが回ってきて、数学で使う記号なんか全く知らないから合ってるかわからないのですが)、つまりなにが言いたいかと言うと、

  • たくさんある「好き」なものたちの中に、ひとつもっとも「大切」なものがある(のかもしれない)

ということと、

  • なにかを「大切」にするためには、なにかを「大切」にしないことを決めなければならない(のかもしれない)

ということを、考えたわけです。

「嘔吐」
「好き」「大切」のあとに「嘔吐」がくるの、意味わからないですね。わたしもそう思います。

よく使う表現で、すごく下品なことを承知でそれでも使う表現なのですが、わたしは自分の台本の書き方を「嘔吐」と表現することが多いです。

「嘔吐」、大変ですよね。苦しいし、つらいし、勝手に込み上げてくるし。そして吐かざるを得ない状況で必要に迫られて行うことが大半です。

自分が摂取したものを出す、ことは、自分の中に蓄積されているものを出す、点で、執筆によく似ているとわたしは感じます。
また、「吐かざるを得ない状況で必要に迫られて行う」ことも、怒りを原動力に書いているわたしにとって、執筆は日々の怒りを逃がすために必要に迫られた行為であるため、そういった意味でもわたしは執筆を「嘔吐」と表現します。

で、どう繋がるかと言いますと、

わたしは、「大切」なものは「嘔吐」したくないのです。

たくさんある「好き」なものたちの中から、
別の何かを「大切」にすることを諦めてまで、
これこそがもっとも「大切」なものだ!と選び出したひとつのもの
なんて、自分にとって本当の本当に「大切」なものじゃないですか。

だから、意識していてもしていなくても、自分の中に蓄積されているものの中では、かなりのウェイトを占めてしまう。
でも、そんな「大切」に自分の中にしまい込んでおきたいものを、わたしは「嘔吐」してしまうかもしれない。

もちろん、食べたものすべてを「嘔吐」するわけではないけれど、いつ、なにを「嘔吐」するかわからない。わたしの書き方は引き出しを開けていくという表現よりもやはり「嘔吐」という表現の方が適切であるように感じるのですが、それは使えそうなものをピックアップするというよりは、もっと突発的で、衝動的で、無差別的なものだからです。
そしてなにより、完全に自分のものになる前に食べたものを口から戻してしまうかもしれないということが、なんだかすごく悲しくて、寂しくて、虚しいのです。

「大切」なものは、「嘔吐」したくない。
でも、いつ、なにを「嘔吐」してしまうかわからない。

ん?

だったら、食べなければよくない?


と、なんとも不健康な思考により今の結論に至りました。

「ラブレター」
「好き」でも、「大切」でも、
「嘔吐」してしまったら意味がない。
「好き」だから、「大切」だから、
「嘔吐」してしまわないように、
「大切」にすることは諦めました。
「大切」にはできないけれど、
変わらずわたしはあなたが「好き」です。

「ラブレター」ではないけれど
上の「ラブレター」を書く前フリとして、長い文章を書きました。
というか、この記事は書いては消し書いては消しを繰り返しているので、実は投稿までに1ヶ月ほどかかっています。

長!

にしては、

拙!

冒頭でも言いましたが、今回は特に、公開を悩んでしまうほど文章が上手に書けませんでした。「覚書」だからでしょうか、それとも、「ラブレター」だからでしょうか。

あ、「ラブレター」ではないんだけどね。

「ラブレター」ではない、けれど、
読んでくださってありがとうございました。

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